水 彩 画 詩 集

     

   

学校教育で学ぶべきこと

 

■ 林竹二とは

  地元の信用組合に勤務して毎日を悶々として過ごしていた私は。ある日一冊の本と出会った。

  林竹二の授業「人間について」である。

■ 現在の教育

 とにかく毎日がせわしすぎて、何もかも完全にこなせる子どもだけがもてはやされ、児童・生徒も保護者も学校に期待せず、困ったときは塾通いをさせる。学校の  授業とは何なのだろうか。こんな子たちもたちと保護者を相手に授業が成立するのだろうか。「学ぶ」とは何か。私が教員を目指した30年前とは明らかに違う。社会現象を見ても、以下の要領よく人を出し抜き成功する術だけがもてはやされてる。

■ 現在の若者と林竹二

 もうすっかり過去の人扱いである。ネットで検索すると。「胡散臭い年寄り」のような記述もある。しかし、そんな若者や現代の30から40代の保護者を教育してきたのは、文部科学省(旧文部省)である。我々教員は、指導要領が変わるたびにそれに振り回され、自分を失った授業をしてきた。その結果が今日だと思うと後悔の念でいっぱいである。昨年、私は、自分より20歳も若いであろう保護者から見下され、「最低の教員」と言われた。かつて私たちが教えた年代である。我々教員は、いったい何をやってきたのであろうか。子どもからも保護者からも尊敬されない教師とは悲しい。子どもが本当に学びたいことや学ぶべきことを学校では教えてくれない。目が輝かない。そんなのは塾や宅配教育教材ですでに分かっているべきことを先生は教える。保護者は、学校はコンビニエンス託児所と勘違いし、過剰なサービスを求める。したがって教師はその対応に追われ十分な授業ができない。学力学力と言って「学校教育で学ぶべきこと」をおざなりにしてきたのではないだろうか。

 

● 林竹二(ウィキペディア)

学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」 

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